初めまして。この度は当院のホームページをご覧下さり、誠にありがとうございます。はつき心療クリニック院長の永田晃章(ながたてるあき)と申します。
自分の目指す医師像として、患者さんとコミュニケーションをしっかり取り、患者さんの気持ちになって考えることのできる、温かみのある精神科医を目標としています。患者さんの悩みや苦しみをしっかりと受け止める『安全基地』となり、休息ののち、患者さんが前よりも強く歩みを進めていけるような、そんな存在を目指しています。
これからも、自分が精神科医を志した時の気持ちを核に、日々から学び、水準高くそして思いやりや真心のある精神医療を患者さんに提供したいと思います。一日でも早く、笑顔で元気な暮らしができるようお手伝いさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
院長 永田晃章
福岡県大野城市の山のふもと、川や池、森、田んぼ、自然がいっぱいの田舎町で生まれ育ちました。小さい頃から落ち着きがなく、いたずら好きでじっとしているのが苦手な少年でした。友達をたくさん誘っては、日が沈むまで遊びまわる活発な少年時代を送りました。優しく時に厳しい父、天然だけど博学でおおらかな母、お笑い好きの明るい兄、弟にとても甘い優しい姉の5人家族の下で育ち、家族団らんや家族の時間を大切にする、感情と愛情豊かな安心感のある家庭で幼少期を送りました。
小学校4年生頃から、塾に通い始め、持ち前の負けず嫌いと集中力、好奇心の強さを武器に、少しずつ成績もあがりました。受験前、塾から帰ると蕁麻疹が腹部に現れるという謎の病気にかかりながらも、なんとか久留米附設中学校に入学しました。中高一貫の男子校で、勉強や読書、サッカー、ギターに打ち込み、汗臭くてあんまり色気の無い学校生活を過ごしました。学校生活を送る中で、悩んでいる友人が悩みを打ち明けてくれた時、話を聞くことで元気になってくれた時の喜びや感動が、後に精神科医を志そうと思った動機へとも繋がっていきます。
中学、高校生の頃の僕は、とても多感で傷つきやすく、ネガティブに悩んでばかりで、誰にも相談せず一人で抱え込んでしまう性格でした。そのため、友人との人間関係などで大きなストレスがかかると、なかなか自分で処理ができず、ずる休みをして家でのんびりすることで心を保つような、どこか不安定な情緒を持っていました。両親はそれに気付いていたのかどうかはわかりませんが、無理に学校に行かせようとはせず、いつも優しく見守ってくれていました。
そして、高校三年生の春、大好きだった祖母を亡くしたのち、とうとう一人では抱え切れず精神的な体調を崩しました。よく眠れず、心が晴れない状態が続き、祖母との思い出がフラッシュバックし、急に涙が溢れ不安感に襲われるなど様々な症状に見舞われ、家族とも話しその年の大学受験を断念しました。
その後、1人では抱えきれない悩みや心の傷を、少しずつ周囲に話せるようになり、家族や友人、様々な人に支えられ、ようやく心を持ち直すことができました。その出来事を通して、本当の意味で心を癒してくれるのは、『心の繋がり』であるのだと実感し、その繋がりは自分自身の心をこれまで以上に強くしてくれた、という大きな経験を得ることができました。本当に困った時、決して見離さず、いつでも自分を支えてくれる存在がいるという安心感が、それまで僕の中にあった心のグラグラをしっかりとしたものに変えてくれたのだと今も実感しています。
そこから、自分の将来についてもう一度じっくりと考え、悩みました。そして自分自身の経験から、自分と同じような心に傷を負い、誰かの助けを必要としている人のために働きたい!と考え、高校3年生の時に精神科医になることを決断しました。両親には、土下座し、進路を変更すること、自分が本当に精神科医になりたいという思い、できるだけお金のかからないような浪人生活を送ることを伝えました。そして、両親からは「あなたの人生だから、自由に進んだらいい。お金の工面はなんとかするから、夢に向かって頑張りなさい。」と言ってくれました。
そこから、習っていなかった教科を一から勉強し直し、週1回授業料の安い個別指導の塾(たまたま九大生の方がバイトをしていて、レベルの高いご指導を受けることができました)へ通い、それ以外は自宅に篭り、一日中問題集を解きまくるという2年間の浪人生活を経て、久留米大学医学部へ合格することができました。
大学に入っても気を抜かず、モチベーションを保ち、しっかりとした医師になれるよう医学の勉強を熱心に頑張り、奨学金も取得、大学最後の全国模試では学年2位の成績を修め、そのまま医師国家試験にも無事合格しました。
大学卒業後、久留米大学病院での2年間の初期臨床研修を経て、とことん臨床力を磨きたいという思いから、様々な精神科患者さんを24時間体制で受け入れている精神科救急病院「のぞえ総合心療病院」へ就職することに決めました。この病院は、アメリカのメニンガークリニックという精神科病院が実践していた『治療共同体』という治療システムを取り入れ、グループセラピーをうまく活用しながら患者さんの積極的な治療参加を促し、患者さんの健康的な心を刺激して治療を行っていくという病院でした。そして、多職種が密な連携を図り、患者さんを心理・社会・生物学的にあらゆる方面から社会復帰を支援するという、まさに精神医療としては理想的な医療を実現している病院でした。
在職中、統合失調症、うつ病、躁うつ病、不眠症、神経症(ストレスが関与して様々な症状が生じる疾患)、PTSD、社交不安障害、全般性不安障害、パニック障害、強迫性障害、解離性障害、精神遅滞、人格障害、摂食障害、アルコールや覚醒剤依存症、ギャンブル依存症、ゲーム・ネット依存症、こどもの心の医療(発達障害、愛着障害、ADHD、被虐待児童、ひきこもり、うつなど)、老年期医療(アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、うつ、身体症状症など)と言った、本当に様々な疾患の患者さんを、軽度から最重度まで、入院から外来医療にかけて幅広く受け持たせていただきました。そして、周囲に公言し目標設定していた、精神科専門医及び指定医資格の最短・同時取得、を達成させて頂くことが出来ました。
また、睡眠医療に関しても興味があったため、企画書を自ら提出し、新しく「スリープグループ」という不眠症の患者さんを対象にしたグループセラピーを立ち上げ、たくさんの患者さんに喜んでいただきました。
それぞれの精神疾患についての専門的な勉強だけに留まることなく、精神分析、対象関係理論、愛着理論、集団精神療法、認知行動療法などの精神療法についても幅広く学び、そして堀川公平院長、故・堀川百合子副院長、坂口信貴先生、白石潔先生、連理貴司先生、吉島秀和先生ら、まさに臨床バリバリの『本物の精神科医』の方々から、定期的なスーパービジョンや指導体制の下、みっちりと精神科医としての素養、そして精神科医としてあるべき「構え」を学ばせていただきました。
その後、クリニック診療も学びたいと考え、縁あってお誘い頂いた精神科クリニックにおいて院長職を2年間勤め上げ、クリニック外来でよく遭遇する症例を多数経験させていただきました。具体的な経験症例としましては、主に不眠症、自律神経失調症、適応障害(軽度の抑うつ状態)、うつ病、全般性不安障害、社交不安障害(あがり症)、広場恐怖症、パニック障害、強迫性障害、ADHDなどの発達障害、子どものうつ、認知症などの患者さんの診療にあたらせて頂き、年間約1万回の診察件数をこなし、クリニック外来治療のノウハウを徹底的に磨いて参りました。
この度、はつき心療クリニックの先代の院長であった千鳥 正三先生から、医院継承のお話を頂き、謹んでお引き受けさせて頂くこととしました。
*2020年11月に医院継承し、開業(前身のはつき心療クリニックは、2010年創業)
*2022年4月、近隣へリニューアル移転
久留米大学医学部卒業
久留米大学病院 初期臨床研修医
医療法人コミュノテ風と虹 のぞえ総合心療病院
その他、精神科クリニックで院長職を経験
はつき心療クリニックを医院継承し、開業
日本精神神経学会 専門医
日本精神神経学会認定 認知症診療医
精神保健指定医
初級睡眠健康指導士
上級睡眠健康指導士
コンサータ(発達障害ADHD治療薬)処方登録医
日本医師会
福岡県医師会(福岡市医師会 城南区2組 組長)
福岡市介護認定審査会委員
日本精神神経学会
日本精神分析学会
日本集団精神療法学会
日本児童青年精神医学会
日本睡眠学会